11月1日は紅茶の日!!
2022/08/15
日本では11月1日は紅茶の日なんです。
何故かって?
それは昔、1791年江戸時代の事、
鎖国を貫いていた日本ですが、日本人で初めて紅茶を飲んだとされる人物がいます。
彼の名は『大黒屋光太夫』
彼がどこで紅茶を飲んだのか?
それは、ロシアの女帝エカテリーナ2世から11月に招かれたとされるお茶会と考えられています。
この事に基づいて、日本紅茶協会が1983年(昭和58年)に11月1日を『紅茶の日』と定めました。
大黒屋光太夫とは?
鎖国の日本とロシアの架け橋
今では海外へ行ける事が普通になっていますが、当時江戸時代では鎖国政策が徹底されていました。
その時は、海外へ行くことはおろか、興味を持つことさえも罪だとされていたそうです。
ですが、例外はありました。
それは、漁船や廻船が難波して外国へ流れてしまう事。
それまでの時代、600年には遣唐使など、海外へ行く者もいましたが、1633年江戸幕府がキリスト教禁圧を目的として行った外交通貿易の極端な制限から鎖国令が出されていました。
その時代、1782年に光太夫(31歳)は廻船で江戸に向かって出向する中、難波してしまいます。
カムチャツカに漂着した光太夫らはロシア政府に帰国を訴えるために、オホーツクに渡りましたが、あまりの寒さで多くの仲間が生き倒れ6人に。
零下50度のシベリアを進み、ヤクーツクからイルクーツクへ進む道中はまさに極寒の地獄絵図だったとの事。
その地獄の道の中で、光り輝く幸運な出会いもあり、女王エカテリーナ2世に合える機会が出来たという。
光太夫は女王へ緊張しつつも、習ったロシア語でこれまでたどった道のりを語ると、その事を聞いた女王は「哀れな者よ」と漏らし、頬に涙をされた。
※この訪問時に茶会へ誘われたとのことから、日本では11月1日が紅茶の日になりました。
光太夫はやっとの思いで1792年9月に帰国することができた。
その時に帰国できた船員は、光太夫を含めて17人中わずか3人。その際、ロシアでお世話になった息子とともに貿易の再開を政府へ訴えたが鎖国中の江戸幕府は光太夫の見てきたことが危険とみなされ江戸番町の薬草場へ閉じ込められてしまった。
帰国から10年後、ようやく帰郷が叶い光太夫の20年間にも及ぶ航海に終止符が打たれた。
その後、鎖国令が解かれたのは1853年の事でした。
知らない事と幸せをつなぐのはアナタかも?
今でこそ、海外へ行くことはたやすい世の中です。
知らない世界、知らない人と接していった先人がいたからこその今の世の中。
人だからこそ互いを支えあい、ともに幸せを分かち合い生きていきたいね。
私の扱う紅茶で、交流の和が広がり素敵な未来に繋がっていくことを祈ます。
そうそう、ケニアでは好きな人へプロポーズの時に紅茶をプレゼントする風習があるんだって!!
これは、紅茶が身体に良いから、相手の健康を祈っていつまでも一緒にいたいという心の現れなんでしょうね。
今後のハロウィンのあと、11月1日の紅茶の日に、友達と、家族と、大切な方と一緒に紅茶を飲みながら楽しむのも粋かもしれませんよ♪
風邪の予防にも良いみたいですし。